日本の死刑囚が形執行前に発した最後の言葉を集めてみました。
ゾッとするものもあるのでやや閲覧注意です。
宮崎勤
「あのビデオ、途中だったのにな…」
宮崎勤は1988~1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で知られます。
死刑執行前、拘置所でアニメのビデオを視聴していたといわれています。
小林薫
「ふ、ふ、風呂とちゃうんか…?」
2004年、当時小学1年生の少女を誘拐し殺害。
小林薫には幼い女の子に対するわいせつ罪の前科がありました。
宅間守
「タバコとジュースくれや。妻にありがとうって、僕が言っていたと伝えてください」
2001年の池田小学校事件で有名な死刑囚です。
小学校に侵入した宅間守は刃物で児童や教師を切りつけ、8人の子どもが命を落としました。
死刑判決が下った後は死刑廃止派の女性と獄中婚し、苗字も女性の姓に変えています。
永山則夫
「うおおおおーーっ!俺を殺すと革命が起きるぞ!」
永山則夫は未成年の時に事件を起こした死刑囚です。
1968年、東京や北海道などで4人を銃で殺害。
1969年、英会話学校で金品を物色しているところを逮捕されました。
逮捕時の永山はわずか19歳でした。
小林カウ
「長い間お世話になりました。思い残すことも言い残すこともありません」
戦後初の女性死刑囚ということで、テレビ番組でも取り上げられることがあります。
旅館を経営していた小林カウ(読み:コウ)は、愛人と結託し元夫など3人の男性を殺害しました。
正田昭
「小木先生によろしくお伝えください」
1953年のバー・メッカ殺人事件で知られます。
正田昭は20代の頃証券会社に勤め、お得意さんとなった女性(交際相手の叔母)のお金と証券を使い込みました。
そのお金を返すため、勤めていた会社の社員を仲間と共に殺害し、現金41万円を奪い去ったのです。
なお慶応大学を出ており外見もハンサムでありまた作家としての顔も持っている正田は、色んな意味で世間の注目を集めました。
ちなみに小木先生とは作家、加賀乙彦(本名:小木貞孝)のこと。
加賀氏は正田をモデルにし「宣告」という作品を出しています。
小原保
「真人間になって死んでいきます。ナスの漬物おいしゅうございました」
1963年、小原保は当時4歳の男の子を誘拐し、男の子の両親に身代金を要求しました。
母親が50万円の身代金を小原に手渡しましたが男の子は戻ってきませんでした。
事件は迷宮入りも考えられましたが、1965年に小原は犯行を自供。
その後、荒川区の墓地で男の子の遺体が発見されたのです。
大久保清
「…クック……」
大久保清は1971年、群馬県で複数人の女性に「絵のモデルになってくれませんか」と声をかけ、関係を強要するなどしました。
そのうち関係を拒絶したりした女性を殺害。
命を落とした人は8人に及びました。
小平義雄
「この期に及んで何も言い残すことはありません」
1945~1946年にかけて発生した小平事件で知られます。
東京の小平とは関係なく、この人の名前からきています。
小平義雄は女性7人を「仕事を紹介する」などと言って誘い込み、乱暴し殺害しました。
ちなみに「男はつらいよ」で寅さんが「助平の始まりは小平の義雄」と言う場面がありますが、それはこの人物の関連するセリフです。
西口彰
「遺骨は別府湾に散骨してください。アーメン」
かねてから窃盗などの犯罪を起こしていた西口彰は、1963年から殺人事件や詐欺事件を起こした後逮捕されました。
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