前回「またの機会に」って言っちゃったからね。
今回はその「善いサマリア人」についてお話しします。
イエス・キリストの例え話「善いサマリア人」とは?
「聖☆おにいさん」2巻でイエスが「善いサマリア人」とプリントされたTシャツを着ているシーンがあります。「善いサマリア人」とはイエスが律法学者とやらに話したとされる例え話。
新約聖書のルカの福音書に記されているようです。
律法学者「永遠の生命のために何をするべきだと思いますか?」
イエス「律法の観点ではどうあるべきだと思いますか?」
律法学者「神への愛と隣人への愛です」
イエス「そのとおり。そうすれば生きることができます」
律法学者「では、『隣人』とは誰でしょう?」
そう律法学者が尋ねた時、イエスがこんな例え話をしました。
旅人がエルサレムからエリコ(別名祭司らの町)に向かう途中追いはぎに遭い、身ぐるみはがされて倒れていました。
レビ人や祭司らが倒れている旅人の前を通り過ぎる中、あるサマリア人がその旅人を助けてあげたのです。
傷の手当てをし、さらに宿屋まで運び、宿屋の人に「この人をお願いします」と費用まで出したというのです。
イエス「…では、ここで助けられた人の『隣人』とは誰のことだと思いますか?」
律法学者「助けた人(サマリア人)です」
イエス「そうです。あなたもそのようにしなさい」
…こんな感じのやりとりが「善いサマリア人」のくだりです。
「善いサマリア人」でイエスはなぜサマリア人を例に出したか
気の毒な旅人を救済した親切なサマリア人。
でもイエスはなんでサマリア人を例に出したのでしょう?
助けたのがレビ人だってユダヤ人だっていいじゃないですか。
当時サマリア人はユダヤ人に嫌悪されていました。
※イエスも律法学者もユダヤ人ですよ~
倒れている人をスルーしちゃう冷たい聖職者より、軽蔑されているけど温かい心を持った人こそが「隣人」であるということをイエスは伝えたかったのではないでしょうか。
アメリカなどで驚きの法律 「善きサマリア人の法」
アメリカ合衆国には「善きサマリア人の法」という法があります。これは「窮地におちいっている人を助ける目的であれば、その行動の結果重大な過失がなければ罰せられない」というもの。
なんかケースによって罰する、罰しない判断が難しそうですが…
まあ、困っている人を助けるための善意の行動であればセーフということです。
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