政界引退後の方がドンだったよね。
元衆院議員の徳田虎雄氏死去 2006年にALS告白
元衆院議員で医療法人「徳洲会」の創設者である徳田虎雄氏が7月10日に86歳で亡くなりました。
徳田氏は1938年、鹿児島県生まれ。
大阪大学医学部を卒業し、病院勤務を経て1975年に徳洲会を設立しました。
そして1983年、1986年の衆議院議員選挙に立候補し自民党の保岡興治氏との「保徳戦争」を経て、1990年の衆議院議員選挙で初当選。
2005年に政界を引退しましたが、2010年には当時の首相であった鳩山由紀夫氏が普天間基地の移設をめぐって徳田氏に面会、協力を要請する場面がありました。
この点からリタイヤ後も徳田氏が政界に多大な影響力を持っていることが垣間見れました。
徳田虎雄氏2006年にALS告白 人工呼吸器と車椅子使い生活
政界引退の翌年である2006年、徳田虎雄氏はALS(筋萎縮性側索硬化症)であることを告白します。
その後気管切開によって発声が難しくなりましたが、人工呼吸器を装着し移動には車椅子を使って闘病生活を送っていました。
公職選挙法違反で妻や娘ら逮捕 徳田虎雄氏も取り調べ
2013年には徳田虎雄氏の妻や娘、加えて徳洲会グループの職員ら計6名が公職選挙法違反の疑いで逮捕されるという惨事が起きました。
徳田氏の政治活動の後継者で騒動の当時衆院議員だった次男の徳田毅(たけし)氏の選挙をめぐる事件です。
毅氏が2012年12月の衆院選に立候補した際に徳洲会グループが参加の病院のスタッフに対し選挙運動をさせ報酬を支払った疑いが強まり、徳田氏の妻や娘、徳州会病院事務局長らの逮捕に至りました。
この事件で徳田氏自身の関与も疑われましたが、ALSを発症していたことから在宅での取り調べとなりました。
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